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すきなものだけ

アイドルポエム

せつなくて愛おしい -Defiled 観劇後記

4/18日にDefiled 観劇してきました。これはとんでもない作品だった。
当然のごとく本編の核心に触れるので、鑑賞前の方はお気をつけ下さい。
そしていつもの3倍ポエムだよ。ごめんね。






会場に入り席に座ったときは、あまりの近さに少々ふわふわとした気持ちだったけれども、始まってすぐにそんなものは吹き飛んだ。


戸塚くん演じるハリーが図書館内に爆弾を仕掛け始める。ハリーの顔をみてすぐに確信する。言い方が悪いかもしれないけど「彼はもうイっちゃってる」とわかる目をしていたのだ。

はじめは普通に棚の上に爆弾を置いているだけだが、後半には常軌を少々逸した動きで部屋をかけまわり爆弾を仕掛ける様は鬼気迫っていて、私はただただ気圧され、怖いとすら感じた。


そこに勝村政信さん演じるブライアンがやってくる。ズボンがほんとに抜けちゃうアクシデント?(演出だったのかな?)や眼鏡を落としちゃったのもとっさに面白いアドリブで乗り切っていたのが本当にすごかった!所々くすくすと笑わせて頂きました。


物語前半は上記のようにくすっと笑えるポイントがあって張り詰めた物語の中ですこし心を落ち着けることが出来たが、後半にはずっとピリピリしていて、彼らがどうなってどの様な結末を迎えるのか、図書館の中の本になって陰から見守る気持ちで観ていた。


物語前半のハリーは「知識で頭でっかちになってるインテリ」感があった。理屈っぽい頭のいい人という感じ。


しかしブライアンと話をしていくうちに彼に段々と心を開いていくと、彼はまるで駄々をこねる子供のようにも見えてくる。


椅子に腰掛けて、首をまわしながらブライアンを見定める様にみる様は年相応の青年だけれども、カード目録の棚に腰掛けながら爆弾のスイッチをまるでおもちゃの様にいじる姿は子供のようだ。


子供のようになった彼はより躍動的に、感情的に、ほとばしるエネルギーをぶつけてくる。ブライアンもそれにつられるように後半には声を大きくあらげ、エネルギーとエネルギーのぶつかり合いを見せつけられる。とてもくるしくてヒリヒリして、そしてせつない。


ハリーのもつその未熟さと頼れる家族、友人がないという寄る辺のなさからくる少年のような危うさを"戸塚祥太"という人自身が持つ不安定さとマッチしていたように思う。爆弾という力を振りかざして戦おうとするけれど、その姿はひどく危うくて儚い。そしてそれ故に、せつなさとほんのすこしの憐憫を感じずにはいられなかった。


それに相対するブライアンは飄々としてつかみどころがない。どこまでが本心だったのか見終わった私にはわからない。狸のような人。これを見事に演じ切った勝村政信さんは本当にすごい役者なんだと詳しくない私にもわかった。



ブライアンはハリーに「君は君の頭の中に生きている」というセリフを言うシーンがあった。たしかにハリーは彼の思う理想に生きているが、ブライアンは現実に生きている。「これが現実なんだ!」というセリフは正しいと思う。だけれども、ハリーにとってはカード目録のある図書館が彼にとっての世界だったのだろう。中原中也の詩を思い出した。

愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

中原中也 - 春日狂想

まさしくこんな気持ちだったのだろうか。この詩は我が子を死んだ悲しみを歌ったものだけれど、ハリーの"愛するもの"が死に絶えていく。作中ではカード目録がデジタルベースになるという形で現れ、ハリーはそれに反対してこの様な事件を起こした。
私たちはこの時代よりも先の世界に生きているから、ハリーの語った"未来"が現実になってしまうことを知っているのだ。


私の高校は図書室がお世辞にも立派とはいえなかった。中学の方がマシ、と言えるくらいお粗末なものだった。それ故に貸し出しシステムが導入されず、アナログな手書きの貸し出しカードに自分で記入するという形だった。本がすきだった私は本をよく読みに行っていたけれども、その貸し出しカードには前に借りた人の学科学年、借りた日付がわかるのだ。それを見るのが好きだった。

自分が産まれる前に借りた人や思わぬ学科の人が借りていたりして、その人がどんな人なんだろうとか今いくつかなとか、私が借りるまでの間何年眠ってたのかなとか考えるのは中々楽しかった。だけれども、電子的な貸し出しシステムによって便利になったのは間違いない。きっといつかは無くなってしまう。(実際母校がまだそのままかはわからないし)

電子書籍は未だに馴染めないといいつつも、紙辞書は使わず電子辞書ばかり使うようになってしまった。そのように段々と変わっていくことはまた当たり前のことだろう。ブライアンは作中で「いずれそうなる」と語る。それは真実だ。どうしようもない。変わってしまうものなのだ。


言い方は悪いかもしれないが、私は最後にハリーが死んでホッとした。だって私は彼が言った通りの世界になってしまうことを知っているから。カード目録が図書館に戻されることはない。もちろん彼が生きているうちにそうなる訳ではないけど、彼の愛した世界が死んでいく姿を彼が観ずに済むということに安堵してしまった。生きていて欲しくなかった訳じゃないけれども、きっと辛いだろうしまた同じ事をしてしまうんじゃないかと思うのだ。


彼がもっとはやくブライアンに会っていたら、ブライアンのように知ろうとしてくれる人に会っていたら、あの様な結末にはならなかったかもしれない。もっと気持ちに違う形で折り合いがつけられたかもしれない。だけれども、この事件を起こさなければ彼はブライアンには出会わなかったろうとも思う。死の間際に己の想いをわかってくれる人に会えたことは彼にとって、少しでも救いになっていたらいい。


時が経てば人は忘れてしまうとブライアンはいった。でも出来るだけわたしは覚えていたい。なくなってしまうものたちのこと。図書室の紙の貸し出しカードのような。そして彼のことを。君を覚えていたい。忘れたくない。そう思う。



ハリー、君にまた会いたい。君のことが好きだ。確かに劇場に行けばまた君に会えるのかもしれない。だけどそれは走馬灯と一緒だ。生きている君に会いたかった。どこかでまた君に会えますように。どうかこころ安らかで。






ここまで読んでくださってありがとうございました!